薄暗い地底を、飛空艇は進む。

バブイルの塔で奪った飛空艇ファルコン――エッジが勝手に名付けたのだが――は、ドワーフの城へ向かうべくエンジンを唸らせていた。地面を這う溶岩の光が不気味に揺らめき、ファルコンの船底を照らしている。

「このエンジン音……。いいねぇ、ファルコン」

エッジが舵を取りながらうっとりとした顔で言った。彼はファルコンに乗り込んでからずっと、この飛空艇を賛美している。リディアは複雑な心境ながらも、「敵の飛空艇なのに」と呆れてみせた。

「一国の王子が盗みとはな」
「うん、まぁでも、エッジが飛空艇を操縦できるなんて驚いたよ」

カインをなだめるようにセシルが言うと、エッジは満足げに胸を張る。

「ああ、初めてにしては上出来だろ?」

一瞬の間の後、エッジ以外の全員が「ええっ!?」と声を上げた。セシルは無言で、且つ素早く彼の位置を奪う。

「なんだよ。ちゃんと飛んでたじゃねーか」
「……今となっては、それが不思議だよ」

皆を代表するように大きな溜め息をつくセシルの横で、エッジは「結果オーライって言葉知ってるか?」とおどけてみせた。彼がこんな風に明るく振舞えば振舞うほど、リディアは苦しくなる。

「ファルコンは扱いやすいし賢いぜ。誰かさんと違ってな」

うつむく視線の端に、エッジの顔が見えた。顔を覗き込みふざけた笑みを浮かべている。いつもの調子でからかわれ、リディアは反射的に頬を膨らませた。

「なんだ? 爆発するのか?」
「しないもん! バカ!」

リディアの反応を楽しむように、エッジは歯を見せて笑った。

ここ数日と何も変わらない風景。ただ、そこにあるものは全て作り物のような安っぽさがあった。

ちょっと船内探索してくる、と言ってエッジがその場を離れると、そこに僅かな安堵感が広がったような気がして、リディアは堪らなく寂しくなった。辛いわね、とローザが呟く。重くなった空気は肺にまで達し、リディアは息苦しさを追い払うように顔を上に向けた。見上げた先には暗闇が広がるばかりで、それがやけに恨めしかった。


◇ ◇ ◇


宿に入ると、リディアはベッドの上で膝を抱えた。

ドワーフの城に到着した頃には人々が眠りについている時間になっていたので、彼らはジオット王への報告を明朝行うこととし、宿屋へ入ったのだ。 ローザと二人きりの部屋は慣れたはずなのに、今日は少し心細い。遅れて眠る準備を終えたローザは、ベッドに座りリディアへ寂しい微笑みを向けた。

「何もしない、っていう優しさも、あると思うわ」

ゆっくりと力強く発したその言葉は、自分に言い聞かせるようでもある。リディアはその言葉の意味が分かるような気がして、やはり寂しく頷いた。何もしない。いや、何もできない。ならば、余計なことをして彼を困らせてはいけない。そう思った。

早めに休みましょう、とローザは明かりを消し床に就く。リディアは黙ってベッドにもぐり、天井を見つめながらエッジのことを考えた。

城に着いて軽い食事をとりながら明日の予定を話し合っている間も、彼は笑顔で冗談などを言っていた。エッジは今、一人きりの部屋で何を思っているだろう。彼もまた、この古ぼけた天井を眺めているのだろうか。

ぐるぐると思考を巡らせ、それでも得るものはなく、こうして誰かに心を探られることを彼は望まないだろうと思ったリディアは、眠ることに集中した。しっかりとまぶたを閉じ、強張る体から力を抜くように努力する。目の前の暗闇が頭の中まで浸食すれば、そのまま朝を迎えられるはずだ。

やがて体がベッドに沈み込むような感覚が襲う。このまま眠りに落ちる事を願ったが、押し潰されそうな重みを感じるだけで頭は冴えたままだった。何度か同じことを繰り返したが、不快な緊張感が増すばかりで一向に休まらない。横になっていると余計に疲れるような気がして、リディアはえいと体を起こした。

寝ることを諦めると、この狭い箱の中から逃れたい衝動に駆られる。リディアは耳を澄ましローザの寝息を確認すると、音をたてないようそっと部屋を出た。


リディアが向かった先は、扱いやすくて賢いあの飛空艇だ。城の外で眠りにつく飛空艇ファルコンに、リディアは不思議と親しみを感じていた。数時間前、無神経な王子に比較されたからかもしれないし、突然の来訪者に大きく運命を変えられてしまった従順な船を不憫に思ったからかもしれない。

ローザの枕元から拝借した鍵を使い、飛空艇の入口を開けると、キィと小さい音をたててファルコンはリディアを受け入れた。扉を開けた先には僅かな光しか届いていない。薄暗い地底では少しでも影になると途端に視界を奪われてしまうため、リディアは甲板までの通路を壁をつたいながら慎重に進んだ。

まるでファルコンの体内にいるようだ。じりじりと歩みを進めるなか、「何しに来たんだ」「眠らなくていいのか」というファルコンの声が聞こえる気がして、リディアはほんの少し後ろめたかった。

少し先に赤い光が差し込んでいる。ようやく甲板に出た。視界が広がり、体の重みからいくらか開放される。大きく息を吸い込み体を伸ばした。来てよかったと思った。

だが次の瞬間、再び重苦しい空気がリディアにのし掛かかる。視線の先に、仰向けで寝そべる銀髪の青年を捕らえた。


──エッジだ。


リディアの脳裏に今日見た彼の表情が蘇る。

喜び。戸惑い。不安。嘆き。悲しみ。懇願や、諦め。様々な感情が吹荒れ、絶望と怒りの叫びが耳をつく。そして風がピタリと止んだように、エッジはいつもの人懐こい笑顔を見せた。飄々とした語り口でおどけてみせ、皆に慰めの言葉を掛ける隙を与えない彼を、リディアはただ見守るしかなかった。それどころか、あまりに明るいその様子に、大人になってから両親を亡くすということは自分が考えているよりも悲観的なことではないのかもしれない、と思いかけてしまう程だった。

それが、どんな形であっても。


エッジは身動き一つとらない。リディアのいる位置から彼の表情は伺えないが、起きている彼が扉を開ける音に気付かないとは思えなかった。

何もしない優しさもある。ローザの言葉を思い出し、リディアはそっと踵を返した。

「なーにコソコソしてんだよ」

背後から投げられた言葉に、リディアは飛び上がりそうになった。振り返ると、エッジは先ほどと全く同じ体勢で寝そべっている。

「……気付いてたの?」

自分が試されたようで、リディアは良い心地がしない。と同時に、何故寝たフリをしていてくれないのかと恨めしく思う。

エッジはリディアを見ることなく続けた。

「こんな時間にこんな場所で、何やってんだ? お嬢ちゃん」
「エッジこそ、一人部屋をわざわざ抜け出してこんな所にいなくたっていいじゃない」
「俺は、ファルコンが気に入ってるんだ」
「……忍術って、本当に便利ね」

リディアはエッジの隣に座りながら、彼が壁抜けの術でここまで侵入しただろう事を思い言った。そして、エッジの顔をちらと見る。彼の表情は、いつもより少し引き締まっているだけで、普段と特に変わらないように見えた。

リディアは、これから自分がどんな顔でどんな会話をするべきか、懸命に模索する。

「地底って暑いのな。暗いし」

何気ない言葉にすら、リディアは体を震わせてしまう。穏やかなエッジの声が、より彼女を混乱させた。

「えっと、エッジは地底、初めてだっけ?」
「何度も来てるのはお前らくらいだろ」
「地底からは太陽も月も見えないから、昼も夜も薄暗いの」
「ああ……星でも見えりゃ、ちっとは気が紛れるのにな」

リディアは思わずエッジの顔を見た。城に向かう途中、自分も同じような事を考えていたのだ。空が見えれば少しは気が紛れるのに、と。

「……エッジと私は、違うと思ってたのに」
「何だよ急に」
「私も、そんな風に思ったことがあるから」
「同じじゃ嫌みたいな言い方だな」
「ううん。同じ方が、楽チンだと思うよ」
「楽チン、か」

ハハ、とエッジは短く笑った。

「みんながみんな同じ気持ちを共有できたら、誰も悲しまなくて済むんじゃないかと思って」
「そうか? みんながみんな悲しくなって、どうしようもなくなるかもしれねーぞ」
「だけど、独りじゃなくなる」

言ってうつむき、リディアは少しの間考えた。彼の両親が魔物に変えられた姿も、消滅する瞬間も目の当たりにしておきながら、自分の辛いことだけを胸に秘めているのはなんだか卑怯な気がした。

リディアはゆっくりと口を開く。

「私もね、住んでた村を焼かれて、お母さんを亡くしたの」
「ヤツ……ゴルベーザか?」
「直接じゃないけど、四天王の一人がバロン王に化けて、それで……騙されたバロンの兵士が」
「バロンの……」
「だから、エッジの気持ち、分かるかもしれないって思った」

エッジはただ静かに、遥か遠い地底の天井を見つめている。リディアは大きな水たまりを飛び越えるような気持ちで言葉を続けた。

「なのに私は今、エッジが何をして欲しいのか分からないの。そっと引き返そうとしたら引き止められるし」
「あー……」

彼は申し訳なさそうに頷いた。

「おんなじだね、分かるよ、って言えたらどんなに楽だろうって」
「言う方は楽だろうな」
「でも、過ごして来た場所は違うし、私は王子様じゃないし」
「そりゃそうだ」
「私は、お父さんも知らない」
「……そうか」
「それでも分かりたいって思うのは、わがままなのかな」

リディアが言うとエッジはゆっくり上半身を起こした。顔が近くなり二人の距離が少し縮まった気がした。

「そりゃわがままじゃなくて、思いやりって言うんだ」

エッジは言ってから「まあ、お節介とも言うけどな」と頭を掻きながら付け加え、リディアに顔を向けた。そして小さく微笑み、いつもより少し長めにリディアを見つめていた。

エッジの笑顔を見ていると、リディアの内側から何かがぷくぷくと沸いてくる。浮かんでは弾け、実体を掴めない儚い泡のような想い。

リディアは怖くなって目を閉じた。


瞼に浮かぶのは、燃え盛る炎。

母が目の前で倒れ、村に火が放たれたあの光景は、今も鮮明に思い出される。けれど、その後自分がどんな想いで過ごしたか、十数年の時が邪魔をしてうまく思い出せずにいた。ただ漠然と、悲しみ、不安、怒り……そのような感情があったと思うが、その色がどんなものかまでははっきりしない。

それでも一つ、分かったことがある。リディアは再びゆっくりと目を開いた。


「私は、そんな風に笑えなかった」

リディアが呟くと、静寂が深まり空気が堅くなった。

「俺は男だし大人だし、王子だからな」

少し低い声で言い、エッジは再び笑顔をみせる。リディアは何も答えず奥歯を噛み締めた。耳鳴りがする。

しばしの沈黙の後、エッジがすうと息を吸った。

「なあ」
「ん、なぁに」
「……俺は今日、上手く笑えてたか?」 Back
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