リディアは頭から細長い針を落とされたような衝撃を感じ、動けなくなった。彼の瞳の奥に、暗い影をみつけてしまった。

失った色が、少しずつ蘇る。


母を亡くしてから、リディアは何度か泣いた。名を教わった花を見て。一緒に浴びた夕陽を想って。母が切ってくれた髪の先に触れて。

眠るのが怖かった。夢に見れば、その回数だけ母は殺される。

でもそれを、誰にも気付かれたくなかった。泣きそうになっても限界まで堪えたし、涙が出てしまっても必死で声を抑えた。子供だったから時々気付かれてしまったけど、それでも強がって一人で我慢してきた。

これからもずっと独りぼっちだと思った。だから、我慢した。


リディアは音もなく立ち上がり、数歩前に進んだ。一面に広がる溶岩がまるで生き物のようにうごめいている。その赤い光を、ただじっと見つめた。光が揺らめき、頬に生暖かさを感じた。

背後からエッジが近づいてくる。そして躊躇いがちに顔を覗き込み、びくりとして体を強ばらせた。

胸元に滴が落ちて、リディアは自分が泣いているということに気づいた。それでも顔を前に向けたまま、眉をしかめ漏れそうになる声を抑える。

「……あー、悪りぃ。今の無し、忘れてくれ」

落ち着かない様子でエッジが言った。リディアは表情を変えず黙って聞いていた。

「俺はさ、まあ平気だ。さすがにアレはちょっとキツいけど、お前がそんな顔する必要はねーよ」

な? と首を傾げ、困ったようにぎこちなく微笑む。リディアの顔が途端に苦しいものになった。自分への怒りと深い後悔に襲われた。

理由をつくって言い訳をして、彼と向き合うことを避けていた。今、彼の心に触れたら、自分の胸の奥に眠る感情がむき出しになってしまうような気がして、それが怖くて逃げた。彼を困らせたくなかったんじゃない。自分が傷つきたくなかった。

今エッジを独りぼっちにしているのは、自分なのかもしれない。

「……ごめんなさい」

リディアが絞り出すように声を発すると、視線の端でエッジの体が僅かに震えるのが分かった。

「なに謝ってんだよ」

エッジは少し乱暴に言い、リディアの頬に片手を伸ばす。親指でそっと涙を拭うと、そのままその手を緑色の髪に移した。まるで子供をあやすように、小動物を愛でるように、優しくゆっくりリディアの頭を撫でる。ゴツゴツとした彼の手は母のそれとは似つかなかったが、まるで母のように優しかった。

顔が歪み鼻の奥がじんと痺れ、視界がぼやけた。瞳に集まった熱はとどまることなく体外へと溢れ出す。リディアは顔をくしゃくしゃにし、わぁわぁと声を上げながら大粒の涙を零した。まさに、堰を切ったかのように。

声を上げ流れる涙を抑えようともせず、全身で悲しみを表すよう泣き続けるリディアに、エッジは酷く狼狽しているようだった。彼は空いた方の手をリディアの肩に回し軽く引き寄せると、長くしなやかなその腕で泣きじゃくる彼女を包み込んだ。それはとても自然で、リディアは驚くことも拒むこともなかった。胸の奥で僅かに、戸惑いのようなものを感じてはいたのだが。

リディアはしばらく、エッジの胸の中で彼の温もりに埋もれながら、激しい嗚咽に苦しんだ。ふと、肩に心地良いリズムを感じる。とん、とん、と繰り返し肩を叩く優しい手の感触。それはリディアが幼い頃、母から与えられた安らぎに似ていた。

きっと彼も子供の頃、こうして母の優しさを感じていたのだろう。それを今自分に与えてくれていると思うと、なんだか少しくすぐったく、そして堪らなく切なかった。


懐かしい暖かさに包まれ徐々に呼吸の整ってきたリディアは、自分が上手に話せるか確かめるように小さく声を発する。

「……かも、しれない」
「ん?」
「少しだけ、なら、分かるかも、しれない」
「俺のことをか?」
「だけど、全部おなじ、は無理、だから、ごめん、なさい」

しゃっくりの合間をぬって途切れ途切れに話すと、エッジは小さく吹き出した。その笑顔は、リディアを苦しめるものではなかった。

「いーんだよ、それで」
「……でも」
「同じだ」
「え?」

リディアが上を向きエッジ見つめようとすると、彼はその頭をおさえ自身の胸に押しつけた。とくとくと、跳ねるような優しい音がする。エッジは優しい声で続けた。

「俺だって、お前のこと分かんねーよ。同じだ」
「……」
「同じだから、楽チン、だろ?」
「……へりくつ」
「うるせー」

言いながら彼は、照れ隠しのように腕の力を強める。心地良くまどろんできて、このまま眠りについたら気持ちいいだろうなと思っていたリディアだったが、涙が止まり少し冷静になると、急にこの状態でいることがとても恥ずかしく感じられた。頬に残る涙を拭いながら、リディアはゆっくりとエッジから離れる。顔中に塩気を感じて、リディアはしきりに手の甲で顔を擦った。

「ああ、ばか、そんな擦るとヒリヒリするぞ」

エッジはどこからか小さい布を取り出しリディアに渡した。藍色の花の刺繍が控え目に施された、淡いブルーの手拭い。きちんと畳まれたその布に彼の育ちの良さが現れていたのだが、リディアはそんなことはお構いなしに涙を拭い、鼻をかんだ。

「うわ、鼻かむかフツー」
「ちゃんと洗って返すよ」
「いーよ。やるよ、ソレ」
「……汚いって、思ったでしょ」
「今さら何言ってんだ。俺様の一張羅はお前の涙と鼻水でぐしょぐしょだ」

そう言ってつい先ほどまでリディアの顔があった自身の胸元を指差す。そのままなにやら複雑な顔をして、エッジは慌てたように背を向けた。

「と、とにかく、今夜は目を冷やして寝た方がいいな。真っ赤だぜ」

言い捨てて彼は出口へと歩き出す。リディアは慌てて後を追った。

「じゃあ、エッジは顔を冷やした方がいいね」
「あ?」
「ほっぺた、真っ赤だよ」

エッジは顔どころか全身を赤くして動きを止める。リディアはそんな彼の様子を、キョトンとした顔で眺めた。

「お前は、ホントに俺のこと分かってねーよな!」

少し前の優しい口調が嘘のように、乱暴な言い方だった。

「なによ急に。さっきはそれでいいって言ったじゃない」
「さっきはさっき。今は今だろ」
「もう分かんない。やっぱりエッジのこと分かんない!」
「分からないなら、別にいいけどさ」

今度はふて腐れたように言った。

「どうせ私は、扱いやすくも賢くもないもんね」
「なんだ、根に持ってんのか」
「早く戻って寝よう。夜が終わっちゃう」
「ああ、俺も隣で添い寝してやるよ」
「もう、またそういうこと言う」

リディアはぷいと横を向く。そして、顔を上げ言った。

「地上に戻ったら、一緒に星空見ようよ」

エッジは何も答えず、一度だけポンと、リディアの頭に手を置いた。

2007.11.29
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