五人がこの街を訪れるのは初めてだった。
過酷な旅の途中である彼らは、物々しい出で立ちの鎧男と陶器のように白い肌の美女という組み合わせの妙も手伝い、穏やかな街並を歩いているだけでしばしば人々の視線を集めた。初めて訪れた街では特にそうだ。店内を物色していても食事をとっていても、街行く人々からは余所者を観察するような目で見られてしまう。もう慣れてしまったとはいえあまりいい気はしなかったし、なにより情報収集の面で僅かならず支障があった。
「参ったな。ここの人達は、特に警戒心が強いみたいだ」辺りを見渡しセシルが言う。町人はこちらの様子を伺ってはいるものの、なかなか目を合わせようとはしてくれない。セシルの嘆きを聞きながら、エッジも視線を左右に動かす。しばらくして「おっ」と小さく声を発すると、何かを思いついたように口の端を上げた。
「先に行っててくれ。ちょっと野暮用ができた」そう言ってエッジは、手に持っていた荷物をリディアに押しつけ、突然何処へやら駆け出す。
「あ、ちょっと!」リディアは渡された荷物を両腕に抱えてエッジを見るが、彼は片手を軽く上げたままあっという間に遠ざかってしまった。
「もうっ」小さくなる背中を見つめながら、リディアは口を尖らせる。「本当に勝手なんだから!」最近のエッジは自分に対して遠慮がないと、リディアは感じていた。それは二人の距離が縮んだことの表れのようで、元来人見知りのリディアはそのことを嬉しく思ったりもしたが、やはり男性には優しくされたいという当り前の女心も持ち合わせている。
ローザとセシルにになだめられ、ずり落ちそうになる荷物に手間取っているリディアの横から、骨ばった長い指がすっと伸びてきた。
「少し持とう」カインは言うと同時に腰をかがめ、リディアの荷物に手をかけた。
「あ、ありがと……」少しどころか大半の荷物を奪われ、リディアは申し訳なさそうに言う。普段は無口な彼だが、たまにリディアへ掛ける言葉はいつも彼女への気遣いに満ちていた。
カインの方がよっぽど王子様らしいじゃない。リディアは小さく溜め息をついた。
それから彼らは、旅に必要な道具を手に入れるため店屋を回っていた。
エッジが抜け四人で行動していると、リディアの胸にほのかな懐かしさが沸いてくる。エッジと出会うまでのしばらく間は、この四人だけで行動していたのだ。リディアはこんな風にセシルたちの後ろについて、店の商品を眺めたり自分用の装備品を選んだりしていた。
ほんの少し前のことなのに、今となっては届かない思い出のようにいとおしい。そんな懐かしさの隅で、リディアは僅かな物足りなさを感じていた。そして、いつの間にか五人でいることが当たり前になっていたのだと気づく。いつも自分の側であーだこーだと騒々しい不真面目な王子も、いなきゃいないでほんの少し、小指の先くらいは寂しいものだなと、リディアは少し捻くれた思いを巡らせた。
買い物を終え宿屋へと向かう途中、もしかしたらエッジと行き合うかもしれないと思ったリディアは、周囲を見渡しながら歩いていた。ふいに、リディアの耳に女性の楽しげな笑い声が飛び込む。若い女性特有の耳を突くような笑い声に反射的に目をやると、やや離れたところに声の主と思われる二人の若い女性と、見慣れた銀髪の青年の姿が見えた。
その青年がエッジだということはすぐにわかったが、距離が離れているため会話の内容までは聞こえない。綺麗な洋服に身を包み、細いヒールに体を預ける可愛らしい女性たち。エッジはそんな彼女たちへ必要以上に顔を近付け、口元を緩ませ何やら語りかけていた。リディアは胸が詰まる感覚に襲われ、そこから漂う浮き立った空気を跳ね除けるように、視線を前方へと戻した。自然と歩みが速まる。
「リディア、どうかした?」普段の歩き方と異なるリディアの様子に気づいたらしく、ローザが尋ねてきた。少し先を歩いていた彼女たちは、エッジに気付かなかったようだ。
「ん、なんでもないの。早く行こ」一刻も早くこの場を離れたかった。背後から聞こえる甘い笑い声が、自分を笑っているかのように感じられ、リディアは苦しそうに眉をしかめた。
セシル達が宿屋の受付で手続きをしている間、リディアは外の木に寄り掛かり陰りはじめた地面を見つめていた。自分の知らない女性と親しげに話すエッジを見てから、リディアは少し落ち着かない。その理由がはっきりとはわからず、その事が一層彼女の苛立ちを募らせた。
足元の小石を爪先でもてあそぶ。すると、視界の隅に長い影が伸びた。
「中に入れ。そろそろ冷えてくる」顔を上げると、カインがいつもの無表情で立っていた。夕陽を吸い込んだ金髪がキラキラと輝いている。
「あ、うん……。でも、もうちょっとだけ」簡潔でいて思いやりのあるカインの言葉が、今日はやけに心に染みた。
「カインは、優しいね」素直に口に出し、リディアは再び視線を落とす。なんだか無性に悲しくなった。掴んでいた風船の紐を、うっかり離してしまったときのような喪失感。
「何をどう捉えたのかは知らんが」カインは呆れたように息を吐いた。「世の中には、優しさを上手く表に出せなかったり、好きな女に意地悪をしてしまう類いの男がいるんだ。困ったことに」カインは一瞬視線を上に向け、それから僅かに口の端を上げた。リディアは怪訝そうにカインを見つめる。言っている意味が、よく分からない。
「様子を見に行ったらどうだ?」リディアの脳裏に、女性に近付くエッジのあの顔が蘇った。胸がキュッと詰まる。
「べ、別に気になんかなってないよ! 鼻の下伸ばしてみっともないなって思っただけ!」目を大きく見開き必死に反論するリディアに、カインはフッと皮肉っぽい笑みをこぼした。
「だそうだ、王子」え、と声を発したリディアの目前を、突如上下逆さまのエッジの顔がふさぐ。リディアは思わず悲鳴をあげた。
「ようリディア」エッジは器用に足だけで木にぶら下がり、腕を組みながら言う。「誰が鼻の下を伸ばしてたって?」くるりと弧を描き地面に降り立つと、エッジはカインを軽く睨んだ。
「お前も気付いててこんな事言うんだもんな。いい趣味してるぜ」エッジはふんと鼻を鳴らしてリディアに向き直った。リディアはややムッとした顔でエッジを見る。感情の整理が追いつかない。エッジは乱暴に頭を掻き、拗ねた子供のような顔のまま口を開いた。
「言っとくけどなぁ、ああやって相手の懐に入り込んで話を聞き出すのも、立派な忍者のお仕事なんだぜ」エッジは仕事をやり遂げた男の、満足げな表情を浮かべた。カインは心底呆れた様子で、エッジがリディアに押しつけた荷物を彼の前に突き出す。
「あのニヤけ面も忍者のお仕事って訳か」荷物を受け取り、エッジはいつもの人懐こい笑顔に戻った。次第に事情が飲み込めてきたリディアは、どこかほっとしたような気持ちにもなったが、やはり女性をこんな風に利用する彼の行動は気に入らない。
「もう! 人に荷物押しつけて、何も言わずに行っちゃうんだもん!」大きい拳で頭をコツンと小突かれると、強張っていたリディアの肩からスッと力が抜けていった。いつの間にか体の一部を縛っていた鎖が、はらはらと解け落ちたようだった。
リディアの胸に安堵感が広がる。と共に、今度は得体の知れない苛立ちが込み上げた。
「いいよ別に。カインが荷物持ってくれたし。カインは王子様みたいに優しい、格好いいんだから」ね、とリディアはカインに顔を向ける。
「あ? 俺だって充分優しいし、格好いいだろーが」なあ、と今度はエッジがカインに同意を求めた。カインは口を横に結んだまま戸惑っている。
「……頼むから俺を巻き込まないでくれ」二つの視線に迫られ、カインが今日何度目かの溜め息をついた。
「ほら、カイン困ってるじゃない!」リディアは勢いよく顔を横に向けた。
「なに怒ってんだよリディア。なんかヘンだぞ」焦った様子でリディアの顔を覗き込みながら、エッジは両手を空に浮かせている。そんな彼に、カインが相変わらずの皮肉な笑みを浮かべたまま静かに近づいた。
「得意のプリンススマイルで聞き出してみたらどうだ?」カインはエッジの肩に軽く手を置き、年上の友人を慰める。リディアは込み上げる笑いを必死に抑え、暮れなずむ空にくすんだ思いを飛ばした。