相変わらず溶岩は地底世界の大部分を我が物顔で這い、焼け付くような熱を吐き出し続けている。ぐらぐらと互いにぶつかりあっては鈍い光を揺らめかせるその様子は、まるで長年積もった不満を訴えているかように、エッジには見えた。

この星の中心が燃えているという話は聞いたことがあったが、こうして目の当たりにすると、恐ろしさと共に感動を覚える。我が物顔は自分たちの方か、とやや反省しつつ、しかし彼らに敬意を払う気にはなれなかった。じわじわと体に纏わりつく熱気は、不愉快以外の何物でもない。

「……あちぃ」

エッジはマントを脱ぎ捨て胴着を外し、飛空艇の甲板で大の字に寝そべりながら苦しそうに舌を出した。溶岩の真上を飛行するということは、彼の想像を上回る過酷さだった。

「なぁ、ファルコンは鍋か? 俺は玉葱かジャガイモか?」
「ファルコンは飛空艇だし、あなたは人間よ、王子様」
「だよなぁ」
「そんな所で横になったら、余計に暑くなるわよ」

玉の汗を光らせながらもどこか涼しげなローザの言葉には、妙な説得力があった。

彼女の言葉を素直に聞き入れ、エッジは上半身を起こす。体を動かした時に一瞬離れた熱い空気は、動きを止めると同時に再びピタリと肌に吸い付いた。

「……あっちい」
「もー、エッジうるさい」

甲板の隅で道具を広げ何やら確認作業をしていたリディアが、いわゆる女の子座りの格好をしたまま顔だけで振り返りエッジを睨んだ。彼女もまた額に汗を滲ませ、緑色の髪を頬に張り付かせている。

「んだよ。八当たりすんなって」
「だってエッジ、『暑い』ってもう十三回目だよ。暑苦しい」
「そんなもん数えてる暇あったら、ブリザドでも唱えてくれよ。道具とにらめっこなんかしてないでさ」
「荷物整理してるの! それに、そんなことに魔法使っちゃいけないんだから」

初めて耳にする『魔法のルール』に、エッジは「そうなのか?」とローザを見上げた。彼女は何故だか誇らしげに微笑み、額に張り付く前髪を薬指ですくった。

「特に決まってるわけじゃないのだけれど……」
「私たちはこの星の邪魔をしちゃいけないと思うの。なるべくはね」

リディアはローザに続いて言い、にこりと微笑んだ。エッジは一瞬目を丸くした後、すくと立ち上がりリディアの隣に歩み寄る。見上げる彼女の横で一面の赤を瞳に映しながら、エッジは独り言のようにつぶやいた。

「お前にはあいつらの声が聞こえるのか?」
「え、何の声が?」
「いや、なんでもねーよ」

ふいに船首から低い声が飛んだ。

「セシル、対岸が見えてきたぞ」

カインが振り返り言うと、船内に僅かな緊張が走った。舵を握るセシルの目に鋭い光が宿る。

「えっ! セシル、もう着いちゃうの!?」
「ああ、思ったより早かったね」
「やだ、こんなに荷物広げちゃった!」

リディアは慌てて、行儀良く並んだ道具を集め始めた。汗で濡れた衣服を体に張り付かせ四つん這いになってちょこちょこと動く彼女を、エッジは腕組みして見下ろす。その姿は官能的でもあったが、色気より先に滑稽さを感じ、エッジはふっと肩の力を抜いた。

「お前、緊張感ねーなぁ」
「エッジにだけは言われたくないよ! ね、眺めてないで手伝って」
「はいはい」

エッジは屈んで道具を手に取り、こまごまと指示を出すリディアに不満をこぼしながらも、素直に従った。こんな些細なことでも、頼られているのが嬉しかった。

「そんなに急がなくても大丈夫だよ、リディア」セシルが眩しそうに目を細め言う。「カイン、洞窟の位置はわかるかい?」
「ああ、恐らくあの台地の内側だな」

言ってカインは斜め前方を指差した。エッジは立ち上がりその方向を見やる。

「へぇ、あれがトメラ大陸か。あっちに村があるな」
「そういえば、トメラにもドワーフが住んでるって言ってたわね」ローザが言った。
「なぁ、シャワーくらい浴びてから行こうぜ。宿屋あっかな」

少し空気を変えようかと思い発した言葉だったが、リディアはエッジを非難するように不機嫌な顔を上げた。

「エッジ、緊張感ないね」
「だってこの暑さで体力も落ちてるぜ。一度落ち着いた方がいいだろ」
「でも、急がないと……」

二人は揃ってセシルに視線を向け、彼の言葉を待った。彼らが行動を起こす際に最終的な決断を下すのはセシルなのだ。彼は顎に手を当て、うーんと小さく唸った。

「シャワーはさておき、態勢を整える必要はあるね。クリスタルを守る洞窟だ、恐らく容易には侵入できない」
「よっしゃ、決まり!」

ぱちんと指を鳴らすエッジの隣で、リディアが拗ねたように唇を尖らせた。セシルの決断に不満があるのではなく、エッジの態度が気に入らなかったのだろう。エッジはリディアの肩に手を置き、からかうように顔を近づけた。

「よし、リディア。時間短縮の為に一緒にシャワー浴びるぞ」
「もうバカ! バカバカバカ!」

顔を赤くし可愛い眉をつり上げるリディアに、エッジは歯を見せて笑う。静かな地底に二人の賑やかな声が響いた。

「最近、急に騒がしくなったな」カインが呆れたように嘆息し、僅かに口の端を上げた。


ぷいと顔を背け立ち上がったリディアが「あ」と小さく声を発した。そのまま立ち尽くし、あたりをゆっくり見渡す。その様子に気付いたローザが、ふわりと柔らかい口調で彼女に話し掛けた。

「リディア、どうかした?」
「うん……幻界から来る時、この辺を通った気がするの」

エッジは道具をまとめていた手を止め、リディアを見た。記憶を辿るように赤い海を見つめる彼女が、少し遠くに感じられた。

「幻界からって……お前、幻界に行ったことあるのか?」

エッジにしては珍しく遠慮がちな声音に、リディアは困惑の色を浮かべる。

「そっか。エッジにはまだ話してなかったね」

そう言って彼女がどこからどう伝えれば良いか考えるような顔つきになると、その場の空気が張り詰めた。ここに居る誰もが自分の顔色を伺っているのを感じ、同時に何かに怯えるような重苦しさも伝わる。この話の先にあるものがただの思い出話ではないことを察し、エッジは喉をクッと詰まらせた。

緑色の瞳がエッジに向けられる。彼の苦手な瞳だった。こうして真っ直ぐ見つめてくる時の彼女の瞳は、穏やかなのにどこか見据えられるようで、彼はいつも気圧される。

「私ね、長いこと幻界で暮らしてたんだ」

リディアは少し改まった声で言い、セシルの顔をちらと見た。セシルが小さく頷くと、リディアは再びエッジに視線を向ける。戸惑いの中に小さな決意をこめた視線だ。リディアの口が開かれようとする瞬間、エッジは逃げ出したい衝動に駆られた。

「それで、この間こっちに帰ってきたんだけどね」

薄い氷の上を歩くように慎重に語り始めたリディアだったが、「それから、えっと……」と次第に声を小さくしていく。

思考がまとまらず言い淀んだ彼女に救済の手を差し延べたのは、普段はリディアと話すことの少ないカインだった。

「リディア、もうじき着陸だ。続きは村で落ち着いてからにしたらどうだ。そこで……全て話せばいい」

リディアが黒いまつ毛を伏せて頷くと、視線から開放されたエッジは忘れていた呼吸を再開した。セシルもローザも、視線を落としたまま口をつぐんでいる。エッジは話が中断されたことに幾分かの安堵を感じたのだが、それでも一丸となって何かを守ろうとする彼らに一人立ち向かうようなこの状況は、なんとも居心地が悪かった。

リディアは再び溶岩を眺める。彼女の背中はどこか寂しげで、白い肩は下から照り付ける赤い光に飲み込まれてしまうのではないかと、少し不安になった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


リディアはつい数ヶ月前まで、七歳の少女だったという。

数ヶ月というのはこちらの世界で過ぎた時間のことであり、彼女はその間に時間の流れが異なる幻界で、人知れず十数年の時を過ごした、ということだった。


リディアはこの辺境の地にある古びた宿屋の一室で、セシルたちとの出会いから大人になって再びこちらに戻って来るまでの経過を、彼女本人の口で淡々と語った。時間にして二・三分。まるで年表をなぞるかのような、枝も葉もない話だった。

場所は変わったが相変わらずの雰囲気の中、エッジは僅かな沈黙すら恐れ、自身の装備を整えながらその話を聞いた。

彼女の歩んで来た道筋はその話から大体把握できたが、セシルたちとどのようにして出会ったのか、何故幻界へ行きそして再び戻って来たのか、その辺のことはぼやけたままだ。それを意図的に避けていることも、そのことが今も尚耐えるように佇む彼らと深く関わっているということも、この空間を作る全てのものから伝わっていた。

わからないことの多い話ではあったが、ふとある考えに行き着き、エッジは一時手を止める。そして、ああそうか、と心の中で呟いた。


あの夜、この胸の中で泣いていたのは、七歳の少女なのだ。


リディアは僅かに口を開いたまま目を泳がせ、飲み込みかけたものを吐き出そうとするような、見ているこちらが辛くなるような顔をしていた。

「……それでね」

リディアのか細い声が、なんとも気まずい沈黙を破る。続いて流れ出ようとする言葉を、エッジは片手を上げて遮った。

「あー悪りぃ。いっぺんに話されても頭こんがらがっちまうよ。また今度にしてくれねえか」

エッジはがしがしと頭を掻く。その軽い口調に、リディアだけでなく皆が怪訝な顔をした。

「それよりお前、金の針とやまびこ草が足りないって言ってただろ。買って来てくれよ」

そう言って彼が気の抜けた笑顔をリディアに向けると、彼女は拍子抜けしたという感じに瞼をパチクリと上下させた。呆気にとられるリディアの横で、ベッドに腰掛けていたローザがゆっくりと立ち上がる。

「それは大変ね。リディア、私もついて行くわ」
「あ、うん。……じゃあ行ってくるね」

腑に落ちない様子でリディアは扉に向かう。部屋を出る直前に小さく振り返ったリディアに、エッジは「迷子になるなよ」と軽く手を振ったが、彼女は僅かに眉をしかめただけで、そのまま部屋をあとにした。


建てつけの悪い扉がギィと軋み、大きな音を立てて閉じたのち再び沈黙をつくった。エッジはベッドに腰を下ろし深く息を吸うと、顔を上げてふうとそれを吐き出す。

「こういうの苦手なんだよな、俺」

くたびれたというように首を回す彼を、セシルが不安げに見下ろした。

「エッジ……」
「なんで全部話せなんて言った?」

エッジの目が鋭く光る。部屋の隅にいるカインは、ただ黙って新調したばかりの槍の感触を確かめていた。

「俺が言うのも変だけどな、時期尚早もいいとこだ。俺はまだお前らの顔を、太陽の下で見たことすらないんだぜ」
「ああ。君の言う通りかもしれない」セシルはじっと床を見つめる。
「お前らの中でも上手く処理できてないことなんだろ? それをわざわざ俺みたいな新参者に話すことはねーよ」

言いながらエッジは、彼らとの、そしてリディアとの距離を感じ、そっと奥歯を噛み締めた。セシルが目を伏せたまま、静かに口を開く。

「リディアは僕らに、本音をぶつけようとしないんだ。困らせないように邪魔にならないようにと、良い子になってしまうみたいでね」

そこで小さく溜め息をつき、真っ直ぐエッジを見つめた。

「君に期待してしまったんだ。すまない」

向けられた瞳を、エッジはじっと探る。冬の海のような物哀しさを感じた。

「……俺に謝られても困るんだけどな」

エッジは僅かに苛立った。彼らの態度やリディアとの距離についてではなく、彼女があんな顔をしなくてはならないという事実と、それをどうすることもできなかった自分に対する怒りだった。

リディアは知ることのできない他人の痛みを知ろうとし、聞くことのできないこの星の声を聞こうとする少女だ。そんな懸命な少女が、何故あんなにも辛い顔をしなければならないのか。

「俺は……俺たちは、あのことについて彼女の口から語られることを、どこかで望んでいたのかもしれないな」

カインが誰に言うでもなく呟き、心なしか苦しそうな顔をこちらに向けた。しかしそれも一瞬で、すぐに感情の読めないいつもの表情に戻り手元の槍に視線を落とした。

部屋は再び静けさを取り戻す。自分だけが知らない七歳の少女が、そこにいる気がした。


物音を捉え、エッジは扉に目をやる。扉はゆっくり動き、指一本も入らない程度に開かれた。

「よう、おかえり」

エッジが声をかけると、細い隙間から覗くグリーンの瞳が大きく開いた。リディアはそっと中の様子をうかがおうとしていたらしい。エッジに気づかれた彼女は、バツの悪そうな顔ですごすごと部屋に入った。

「さすがに忍者は、あざといね」
「……めざとい、って言いたいのか? もしかして」

リディアは静かに部屋を見渡した。この場の空気を読み取ろうとしているようで、少し怯えた表情でそれぞれの顔を順に見ている。

「準備はできた? こちらはバッチリよ」

ローザがリディアの背後から明るい声で言い、「ね、リディア」と首を傾げて微笑んだ。カインが顔を上げる。

「大体済んだが……シャワーを浴びるんじゃなかったか、王子様」
「あーもういいや。一人で入ってもつまんねぇしな」
「そう誘われても、俺は一緒に入らんぞ」
「真顔で妙なこと言ってんじゃねーよ」

エッジは側にあった竜騎士の兜をカインに投げ付けた。それを受け取ったカインは、フッといつものように口角を上げる。

「よし、じゃあ……行こうか」

セシルが柔らかい笑みをリディアに向けると、彼女は安堵の表情を浮かべた。

彼らの中の問題は、恐らく彼らの繋がりを深く強いものにしている。その問題が足かせとなってリディアを苦しめているだろうことはエッジにも分かっていたが、幼い嫉妬を抑えるのが困難なのもまた事実だった。


部屋を最後に出たエッジは、扉を閉め一度深く呼吸をしてから彼らに続く。

と、マントの片側が何かに引っ掛かかり彼の歩みを止めた。そのままぐいと引っ張られ、エッジはバランスを崩さないよう体をひるがえす。少し低い位置に、両手でマントを掴むリディアの拗ねたような顔があった。

「っと。んだよ、どうした?」

リディアは軽く下唇を噛み、ほんのりと頬を赤らめながらじっと上目でエッジを見つめる。何か言いたげに口を動かすが、何も言わない。エッジは小さく首を傾げた。

「……トイレか?」
「ち、違うもん! バカ!」

彼女はマントを掴んだまま顔を上げて抗議したが、再び身を引いて上目遣いに戻った。いつもと違う調子に、エッジはややたじろぐ。

やがてリディアの唇が、控え目に開いた。

「エッジ、ありがとう……ごめんね」

耳を澄ましてようやく聞こえる程の囁きだったが、しっかりとエッジの耳を通り、その奥を震わせた。彼はスッと腕を伸ばし、ふわりと軽やかな緑の髪をわしわしと乱暴に撫でる。

「あ? 聞こえねーよ」
「やだ! やめてよもう!」
「なんて言ったんだ?」
「もういい! 何でもない! バカ!」

頬を膨らまし乱れた髪を整えるリディアを見て、エッジはハハと朗らかに笑った。

手を伸ばせば触れられる場所に彼女がいる。今はただそれだけでいい、と自分に言い聞かせながら。

2007.12.20
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