ずっ、と一口茶を啜る。
陽は高く、風は無い。小さな食堂の、古びているけれど綺麗に磨かれたガラス窓からは、静止画のような町並みが覗いた。差し込む陽が空気中の塵をきらきらと照らし、出窓に反射した光の強さに目と目の間がジンとする。
エッジはテーブルに片肘を付いた姿勢で体を横に向け、何気ない風をよそおいながら茶をゆっくりと喉に流し込んだ。彼の前には空の食器。そしてもっと前、つまりは彼の向かい側に、あんと丸く開いた口に魚のフライを迎え入れようとする、緑色の髪の少女がいる。彼女は、ぱく、とフライを頬張り、もぐもぐと顔ごと上下させながら、ゆっくりじっくりそれを噛み締めた。
ふわふわと揺れる緑色の髪を横目で見ながら、エッジは手持ちぶさたで持っていた湯飲みをテーブルに置いた。
「お前、食うのおせーなぁ」溜め息混じりに言い、頬杖をつく。リディアは咀嚼を続けながら不機嫌に眉を寄せ、両手をグーの形にしてテーブルの上に乗せた。片手にはフォークを握ったまま。しばらくそのまま口を動かし、ごくんとフライを飲み込むと、小さく鼻から息を出して口を開いた。
「いいでしょ。ゆっくり味わってるんだから」上目で軽くエッジを睨む。彼はなんとなく目を逸らし、リディアの前に置かれた皿に視線を落とした。一つの皿に野菜やらご飯やらフライやらが少量ずつ盛られ、彼女はそれを順序良く均等に片付けている。
「なぁ、それお子様ランチか?」はいはい、と不真面目な返事をしてエッジは口元を緩める。リディアは再び食事を口に運び、もぐもぐと顔ごと動かし始めた。
バロン組はとっくに食事を終え、そろって買出しに出掛けている。エッジは彼らの誰よりも早く食事を終えていたにもかかわらず、買出しに誘われることはなかった。その理由が彼にはなんとなく分かっていたのだが、素直に感謝できずにいた。彼らがそうすることを楽しんでいるのだと、気づいていたからだ。
昼時を過ぎた店内からは、一人また一人と客が去って行く。バロン組みの思惑通りにぽつんと取り残された二人の間を、静かな時間が流れていった。
あまりの静けさに、エッジは少し落ち着かない。
「手伝ってやろうか?」一口ずつ残ったおかずたちを指差しながら、エッジは少しだけ身を乗り出した。リディアはギュッと皿を掴む。
「だめ。全部食べるもん」そう言うエッジに、リディアは一度深く呼吸をすると、諭すように語り始めた。
「私はね、きちんと味わいながら食べたいの」そこでやっとリディアの言わんとしていることを理解し、エッジはやや複雑な表情を浮かべた。彼女のこういう真っ直ぐさは心底感心できることでもあるが、時に彼を不安にさせる。少し遠い。そんな気持ちにさせられる。
「俺にもそのくらいの気持ちで接して欲しいもんだね」言ってすぐに後悔した。慌ててふざけた顔を作るが、想いは真剣で、そんな胸の内が表情に現れてしまっているのではないかとヒヤリとする。魚や野菜に嫉妬する男が、彼女の目にどう映っているのか。
リディアはきょとんとエッジを見つめ、小さく首をかしげた。
「エッジは食べ物じゃないもの」僅かに困惑の色を浮かべ、リディアは再び食事を口に運ぶ。はぁ、と溜め息をつき、エッジは皿の上の食べ物を睨んだ。彼女はいつだって自分以外のものを優先させる。そんな気がした。
「俺は、エビフライになりたい」つぶやくエッジにリディアはややムッとした表情を向けた。いつものように茶化されているのだと思ったのかもしれない。
「そんなことばっかり言ってると、エッジのこと食べちゃうよ!」握ったフォークを顔の高さまで上げ、少し強めにたしなめた。真面目な彼女の気持ちとは裏腹に、「食べちゃう」という言葉はエッジの耳から脳へと伝わる間に、見事ピンク色に色付いた。
「ぜひ、おねがいします」リディアは怯えたように身を引き、顔中の筋肉を緩ませてうっすらと微笑むエッジを、まじまじと見つめた。
「だいたい、なんでエッジはずっとそこにいるの?」リディアの問いかけに現実の世界へと引き戻され、エッジはハッと目を見開く。待ってて欲しいとは言われていない。かといって「待ってやってるんだ」と言って「必要ない」と返されたら、今後の活動に支障が出る。実際、待たせて頂いている感は否めないのだが、そんなことは言いたくなかった。
リディアが言葉を待っている。焦りが顔に出始める前に。早く言葉を。
「べ、別にいいだろ! 茶を飲んでるんだ、茶を!」言ってふいと顔を背けると、エッジは組んでいる足をぶらぶらと揺らした。こんな言葉しか出てこない自分に、いつものことながら先行きが不安になる。
リディアは「ふぅん」とつぶやき、テーブルに置かれたエッジの湯飲みを覗き込もうと、首を伸ばした。エッジは疾風の如くその湯飲みをさらう。茶は底に張付く程しか残っておらず、エッジはそれをのことに気づかれまいと、勢いよくその全てを飲み込んだ。すっかり冷め切った茶が、喉に細く冷たい跡を残す。
「ゆっくり味わってんだ。悪いか」沈んでいた茶葉のザラッとした感触にむせそうになるも、なんとか堪えて平静を装った。それでも赤くなっているかもしれない頬を、手で覆い隠すように頬杖をつく。ドンと置かれた湯飲みに目を丸くしていたリディアだったが、そのうちゆるゆると顔を綻ばせ、子供のように瞳を輝かせた。
「なぁんだ。エッジも一緒じゃない」親しみのこもった声。自分と同じだと言いながら嬉しそうな顔をする彼女の様子は、深い意味は無いとわかっていてもどこかくすぐったかった。
「エッジ、お茶飲むの遅いね」リディアは小さく肩をすくめ、上目で悪戯な眼差しを向けてきた。彼女のこんな表情に、エッジはめっぽう弱い。否定も肯定もできず落ち着きをなくしたエッジの瞳が、行き場を求めて忙しなくさまよう。
「いーからさっさと食えよ、ソレ。俺が食っちまうぞ」悶々とした顔のまま顎で皿を指すエッジに、リディア勝ち誇ったような笑みを浮かべ最後のひとくちを口に放った。目を閉じて、頂いた命の全てを味わうようにゆっくりと、そして愛しそうに噛み締める。毎回こんな食べ方をして疲れないのだろうかと、エッジはやや呆れぎみに彼女の営みを見守った。
ふと、思う。
食べ物と対峙している時の彼女と、こうしてリディアを眺めている自分。頂いた命を隅から隅までを味わおうとするリディア。彼女の一挙手一投足を余すことなく見届けようとする自分。まったく同じではないが、どこか似ている。むしろ彼女の仕草や発した声を、何度も思い出しては咀嚼する自分の方が、彼女を上回っているのではないだろうか。
エッジはフッと口角を上げた。
「お前もまだまだだな」満足げに言い、リディアに食後の茶を入れる。
「ん、何が?」リディアは訝しげにエッジを見つめながら、程よい濃さで注がれた熱い茶をふぅと吹いた。エッジはニコニコと上機嫌に窓の外を眺める。
陽はまだ高い。つがいの小鳥が、並んで地面をつついていた。